はっさくの記憶
柑橘とトマトの品種は、未知なるものがとても多くて楽しいのです。
新しい品種が次々に出てきてるんだか、もともと沢山あるものをわたしが知らずに歩んできて、今ごろいちいちびっくりしてるだけなんだか分からないけれど、とにかくいつも、そこに感じる目新しさ。
新しい品種もそれなりにヨロヨロと食べてみて、ああ美味しいと好きになったりするけれど、わたしの最愛の柑橘、それはあなたです、ハッサク。
ハッサクの一番古い記憶は母キョーコが剥いてくれていたもので、記憶にある景色が保育園時代の家の光景なので、年齢はそれくらい。保育園児にハッサクの味はちょっと難易度高め設定なんじゃないかい母ちゃんよ、と思わなくもないのだけど、わたしの子どもの頃の大人たちは、子どもの味蕾にあわせた食材のチョイスなんかしませんでしたので。
ハッサクはちょっと苦いんだけど、剥いていくさきからどんどん食べていくと、「もうーー!」といってキョーコが笑うのが好きで、その顔が見たいから調子にのってハッサクを食べていた、そのことは覚えています。
「まつさか農園以前」のこと
大人になってからも、自分で買う柑橘は、決まってハッサク。
あんなに苦いと思っていたはずが、食べるうちに好きになったのか、なんだかんだ好きだから食べていたのか、ハッサクの魅力を理解できる水準にわたしの舌が追いついたのか、鮎のハラワタみたいなもので、苦いのが美味しいんだと思えるようになってかれこれ数年。
出会ってしまった、運命のハッサク。
それが、松坂さんの。
紀元前/紀元後、「B.C(Before Christ)」「A.d.(After Death)」、そんな感じ。
松坂さん以前と以後ではそれくらい変わった、ハッサク観。
愛していたハッサクと変貌のハッサク
慣れ親しんできたハッサクは、皮にハリがあったりなかったり (ないと皮に指がめり込むので剥きづらい)、その下の白いふわふわの球体の中心に指を挿し込んで2つに割っても、果汁が垂れてくることなんかなかったのです。
ボート型の房の上部に力を込めても、引き続き果汁は飛び出したりせずに、極めて冷静沈着、落ち着きと重厚感のあるたたずまい。
羽二重餅みたいに半透明の薄皮を剥いたら、肝心のボートの中身の両はじは、婆ちゃんが茶箪笥から出してくれる、美味しいんだか美味しくないんだかちょっと判断の難しい砂糖つきゼリーみたいな乾いた色になっていて、それがサクサクしてる、そういうものでした。
そういうものだと思っていたから、そんな落ち着いた貴方を愛していました、
それが「まつさか農園以前」。
では「After Matsusaka farm」はどうか。
ハッサク、大暴れ。んもう大暴れでございます。
ずっしり重たくて皮がつやつや、表皮を剥く手に感じるハッサクの血(?)しぶき。剥き終えた手をティッシュで拭けば、ハッサク色に染まるティッシュペーパーがあまりの水分量にしっとりクタっとするの巻。
その実を半分に割るときも、カパっと割れるというよりは、なんというかこう、生木を割るような、ミシミシっとした手ごたえがあって、だからそれなりに力が要るんだけども、早く食べたいあまりに力加減を見誤れば、容赦なく漏れ出づる果汁。うわあ、ごめんハッサクごめん、このタイミングで件のティッシュペーパーは容量いっぱいの水分を吸収し、その使命を果たしきるのであります。
薄皮をはいだときの感激ったらなくて、均一な黄金色に透き通った、ツヤツヤの暴れハッサク。
「苦い味がする」とばかり思っていたのも違っていて、味の主催者は甘みと酸味の掛け算、うま味が協賛支援するところに、苦味も控えめにしかし確実にご参画、豊かな後味による消費加速装置つき。
好きだったのに、好きだったけど、生命力溢れるその正体を知って、もっと好きになりました、ハッサク。
ああでもこれだけでは、「鮮度の高いハッサクと、そうでないハッサク」の差分しか見えないな、そうじゃないのです。そうじゃあない。
「松坂さんの」の、その理由
では「美味しいハッサク」ならなんでもいいのかというと、やっぱりちょっとそうじゃない。
Before Matsusaka Farm とAfter Matsusaka Farmで起きたことは、
- 松坂さんのハッサクが美味しい
- もともと好きだったハッサクをもっと好きになった
だから、わたしが好きなのはつまり「美味しいハッサク」ということでそれに間違いない。
だけど例えば別の生産者さんの昇天するほど美味しいハッサクと出会っても、松坂さんのハッサクを食べなくなることは考えづらく、「ハッサク消費量の純増」を迷わず決断します。
そんなことしてたら、食費も食費におけるハッサク代金比率も膨れ上がるじゃないかということになるけども、それでもわたしにとって、松坂さんから届いたハッサクであることは重要。
なぜそれほど松坂さんなのか。
その理由は大きく3つ。
- 食いしん坊シンパシー×松坂さんのハッサク好き
- Deep deep,みかんLover
- それ以外
食いしん坊シンパシー×松坂さんのハッサク好き
ポケットマルシェで初めて松坂さんのみかんをいただいた年に、コミュニティページで見た「ぼくもハッサクが大好きで…」というコメントが、大きな理由のひとつ。それに加えて、
「あの美味しいみかんを食べられへんくなるんはイヤやなと思ったから」。
お祖父さんのなさっていたみかん畑を継ぐという意思決定に際しての、この理由は、松坂さんへの信頼を磐石なものにしました。なんと見事な内発的動機。
自分が美味しいのを食べたくて、美味しいと思う理想のハッサクを育てて収穫しているもののを、我が家にもいただけている。こんなうれしいことって他にない。
「その作物を好き」っていう生産者さんが好き。
松坂さんみたいに、その作物を食べるのが好き、っていうのは共感しやすくて嬉しくなってしまうけど、それだけじゃなくていい。収益率が高いから、とか、通年での収穫を見込むことができるから、とか、土地にあっているからとか、値崩れしづらいから、とか、結構なんでもいい。
なんだっていいのだけど、作っている人の「好き」を分けてもらえる特別さがなにより楽しいのです。
好きのパワーはナメちゃいけない。
好きだから追究できて、追究するから到達できる世界があると、そう思う。ハッサクを好きな松坂さんだから、その人が追究するハッサクを、その情熱ごと食べたい。そういうこと。
貴様何様だと叱られるかもしれないけれど、松坂さんはビジネスに向けた感覚もちゃんとお持ちの方だとわたしはそう理解していて、「好きだからやってます、以上!」っていう話じゃない。そこに柑橘を愛する人としての矜持や専門性が加わる。もっと言えば、自分の育てたみかんが幸せな時間につながるといいと願ってくれて、それは同梱のみかんスゴロクからも、おすそ分け袋からも感じられること。
そんなふうに、黄色の実の先にいる消費者のことをとてもよく見ていてくれるから、まつさか農園の箱を受け取るといつも、イソップ寓話の「レンガ積み職人の話」を思い出しちゃう。
「レンガを積むように言われたから」レンガを積む職人A
食べるためにレンガを積む職人B
教会を創るためにレンガを積む職人Cと、
この先何百年も人の心を癒す空間としての教会を作るために、レンガを積む職人D。
説教めいたお話は出来る限りゴメンこうむりたいけども、昔からこの話が結構好きで、松坂さんはわたしの目に、Dの職人のように見えるわけです。
Deep deep,みかんLover
これについてはすっかり有名。松坂さん、柑橘のシーズン中には、決して「みかん代」としてお安くない金額分の柑橘を、自らあちこちの生産者さんから取り寄せて、眺めて嗅いで、召し上がっておりまして。
これは当たり前の姿勢なのかそうでないのか、わたしはそのへんの事情に詳しくないものの、例えばこれが当たり前なら、わたしの感想は「当たり前のことが当たり前に出来て、松坂さんすごい」。
わたしがそう感じるとおり、あまり見当たらないほど深いみかん愛と仕事愛の両軸を達成した形態なのであれば、「その終わりなき向上心と探究心の結晶を、わたしも体験したいです」となるのです。
それ以外
「それ以外、ってなんやねん」、松坂さんの声がするような。
柑橘をよく知る松坂さん、ときおり他のみかん農家さんの柑橘もおすすめしてくれるのです。勧められればられるほど、結局一周まわって松坂さんと、松坂さんの仕事の成果としてのみかんを好きになるのだけれど。
そういうところも、信頼の糸…いやシメナワのようなゴツさの信頼を、松坂さんに寄せる理由。
わたしの仏壇にハッサクを
お祖父ちゃんのみかんを食べられなくなるなら自分で作る。その選択をした松坂さんが、勤勉で野心もあって理想も描く人だから、この先、まつさか農園の柑橘はどんどん進化すると完全にそう信じています。進化するということは変わっていくということで、変化するのであれば、わたしはその変化をこの先も毎年体感しながら過ごしたいと思う次第です。
息子はすでに松坂さんの柑橘を好きだから、彼がその将来に子どもをもつことを選択するのなら、キョーコがわたしにそうしてくれたように、孫にも剥いて食べさせたいな。わたしはカメかなんかなのかというほど長寿の家系だけど、いずれ三途riverを渡ったあとは、わたしの仏壇に
「婆ちゃん、今年も届いたよ」って、まつさか農園のハッサクを供えてほしいとそう思うのです。
くれぐれも、お線香の煙で燻されて、あの剥く前から漂うさわやかな香りを台無しにすることのないように、ハッサクを防護するのだぞって言って聞かせておかなきゃな。
いつだったか、松坂さんにそんなことを話したら、
「いや茶太郎さん、めっちゃ長生きしそうですやん」と笑ってもらえて嬉しかったところまで含めて。