コメ派の理由
我が家は、基本的にコメ派です。
それは、我が家の台所を司るわたしの実家が米派だったからで、それが何故かといえば実父キミトシが、それはもう下品なほど食にやかましい人間だったことが影響していると、そう理解しています。
どういうことかというと、例えばこういうこと。
【キミトシの朝ごはん/パン食ver.】
季節にあわせたフルーツのジャム、旬の野菜の出来たてスープ、冷製スープなら食器が冷やしてある必要があるし、温かいスープなら、当然熱すぎず、しかし中身の温度とそこまで大きな差分がない程度に器が温められている必要あり。
そこに、季節の温野菜または冷製のサラダ、何種類かの自家製ドレッシングに、いくつかのパターンの玉子料理に加えて、なんらかの乳製品まで必要。
でないと気が済むまで文句を言うタイプの面倒な父親に、彼がまさか将来好々爺になるとは思わず、
黙って食えよバチあたり、と言って大喧嘩になったのは、思春期のこと。
当然、本人が「こだわり」と呼んで悦に入っている、そのただの横暴を続投させた母キョーコも、わたしにとって「わからない人」であるわけですが、
なにしろフルタイムできっちり仕事をしていた母キョーコにとっては、「朝のパンめんどい」ってことだったのだと推測していて、多分そんな理由で、わたしは、お米育ち。
(お米の場合にも、各種おかずが必要とはいうものの、作り置きの佃煮や、作りたてじゃないほうが美味しい煮物の類、朝の焼き魚でなんとかなった)
では、夫はどうか。
夫の生家、わたしの義父の家がもともと滋賀県のお米農家なので、彼らも当然に米食。
母屋から離れた田んぼの作業中に便意をもよおしたときの話は、もう本当に何度聞いても面白くて仕方のない、夫の鉄板ネタ。
そんなわたしたち夫婦に育つ息子は、お米だけでお米を食すほどのコメ愛を放ちながら、米を愛し米に愛されて生きている令和BOYなわけであります。
お米を選ぶ、その理由
ポケマルに出会うまで、お米の選択の方法は、わたしにとってひどく難しいものでした。
そもそも一人暮らしをしていた20代前半までの頃については、おコメは買った記憶がほぼないのです。
一食分だけ炊くのは至難そうだけど、次の食事を自宅でとるのがいつになるかわからない。
社会人になればなったで朝から朝まで会社にいて、シャワーの時間すら惜しんで気絶するように眠る生活、そこに自炊の余地はなかったから。
学生時代はもう少しマシだったとはいえ、スーパーにもコンビニにもあるのがお米(むしろコンビニがなかった)、
色々品種名はあるけど詳しくないし、たいていどれを買っても変な味がするわけじゃないし、だから余計に「わからない」。
あんまり保管期間が長いと虫が湧くって話も聞くから、割高だけど小さい袋の、そんで、精米日が近いのでいっか。とか。
秋になれば「新米」って耳にはするけど、「秋」のうちに何回お米炊くかわかんないし、とか。
毎日食べるものなのに、何を買っていいのか、なにをどういう理由で選んでいいのか、さっぱりわからない。
全食材がそうだったけど、ここまで顕著に「わからないままにされてた食材」ってのも珍しい。
年間を通じて、お米ほど高頻度でいただく食材もないというのに。
「同じ釜の飯を食った」お米
いろんな方の育てたお米に興味を持ったのも、お米の美味しさが本当にわかったのも、ポケマルと大野さんの金鵄米に出会ってからのこと。
では、大野さんのお米は精米日が近かったのか。
ほんの小さな1kgパックだったのか。
いずれでもなく、大野さんのお米は、「同じ釜の飯を食った」お米だから、迷わずお願いしたのです。
なんのこっちゃ。
富雄川(とみおがわ)という一級河川の流れる、大野さんちのそのエリア。
子どもの頃その川で遊んだし、いたずらしたし、なにしろ富雄川の水脈で育った作物を食べて育った期間があるわけです。
富雄川エリアに育ててもらった期間のあるわたし。
用水池がなくなるタイミングで大野さんが自分で掘った(!)井戸の地下水で育つ大野さんのお米。
「同じ釜の飯を食った」間柄なんて、そんなの食べたい、絶対食べたい。
幼馴染みのような。同胞とかハラカラとか、
肩でも組んでみたいような、そういう種類の、だからもう最初っから特別枠の大野さんのお米。
「金鵄(きんし)米」というお米
わたしが「同じ釜(川)の飯(水)を食った」と言い張っている大野さんのお米には、
「金鵄(きんし)米」という名前がついています。
金鵄って、初代天皇/神武天皇が、即位前のタイミングの戦いで、のちに神武天皇になるその人のピンチを救う鵄(トビ)のこと。
金色に輝いて、そのまばゆい光で相手の戦意を喪失させた、「戦わずして勝つスタイル」の立役者。
わたしの子ども時代は、まだまだ行事のときには国旗の掲揚があって、なんなら祝日には一般家庭の門扉にも国旗が掲げられていて、
そのてっぺんの金色の球体が「金鵄」を示していると、行事ごとに毎回も聞いたことを、今も日の丸を見る度に思い出す。
日本の国のナントカカントカを語り始めると、どういうわけか好き嫌いと思想が分かれる話題になるけれども、特段ナショナリズムに傾倒するわけではなくて、
とはいえこういう思い出と一緒に、今も自分の中にあるワードを、名前に掲げるお米。
どう考えたって、そんなの嬉しい。
そして美味なる
わたしにとっての金鵄米は、そのうえに、まぶしいほど美味しい。
同じ釜の飯を食べた仲じゃないか、とお願いしてみて、
では今、大野さんにお米をお願いする理由もそれ一択かといえば、そうじゃない。
だって美味しい。
金鵄米は美味しくて、だからお願いし続けているわけです。
他のお米農家さんからのお米もいただくけれど、特にお弁当の必要が出てくると、
絶対に、これはもうなにがなんでも金鵄米。
「冷めても美味しい」は、わたしにとって金鵄米。
丸っこい粒のかわいい金鵄米(ヒノヒカリというそうな)は、あっさりとしてもっちりとしていて炊きたては極上なんだけど、冷めると、より香りがシャープになる感じ。
お弁当やお寿司、握ってすぐに食べちゃう朝ごはんのおにぎりじゃなくて、少し時間を置いて食べるタイプのおにぎりには、どうしても金鵄米。
もう、「美味しいお米」はたっくさんあるから、あとは好みと用途の問題でいいんだと思っていて、好きな人が好きな土地で育てている、美味しさの特長と秀でたところのよーくわかるお米があるのが、とにかく嬉しい。
「炊き立てでも冷めても、元気なときもそうじゃないときも、常に一緒にいたいお米」
のひとつが金鵄米、そういう位置づけ。
300年目の大野さん
押しかけた大野さんちの田んぼと畑は、どうにもこうにも、たまらなく懐かしい奈良の風景の中にありました。
あの透明水彩の風景画みたいな色彩の景色が、大和(やまと)なのよそうなのよ、とDEEP奈良人は思うのです。
それでも、倉庫を再利用してある手作りのお店からは、「なつかしい」で終わりじゃない、
大野さんが企んで仕掛ける「新しくなっていく、おおの農園」が燦然とそこにある、そんな感じがしたのを記憶しています。
歴史があることは素晴らしいけど、きっとそれが重圧になるタイミングだってある。
んじゃ新しけりゃいいのかっていうとそうじゃなくて、意志をもって「新しくなっていくこと」とか、「時代にアジャストしていく努力を継続してること」が、当たり前じゃなくて本当の凄みなんだって、わたしはそう思うのです。
「お前になにがわかるんじゃい」とお叱りをうければデヘヘっていうけど。
東京のIT企業でお仕事をしていたその人が、東日本大震災をきっかけに300年続く家業の意味合いを再認識して、「創る側」になることを選択して、まるごと進化して、
だから出会えた、金鵄米。
それまでの葛藤とか、そういうものも全部含めて、「あの大野さん」が作ってるから、だから余計に美味しいわけで、
そこまでくるから、そりゃ無二なお米に決まってる。
この先どれだけ好きなお米が増えて
「わたしの好きなお米リスト」が、たとえ巻物みたいになったとしても、
その筆頭におわしまするは、きっとずーっと、大野さんの金鵄米。
基本路線はお米と歩んでいきたい朝の大事な一食目、なにがあっても君が好きだよっていう、そういうお米が見つけられて、本当にうれしい。
仮にトーストだけをお皿にのっけて朝のテーブルに出したとしても、
優秀な我が夫は「おいしい」ってご機嫌に言うけれど。