■定例行事、わかめ
年に1回とか2回、頻度は高くないけれど、毎年決まって取り寄せる食材がある。
「そんなに要らないから」じゃなくて、旬が一瞬だからその回数にならざるを得ず、故にこそ、その食材なしには、その季節がやって来ないような気さえする食べ物。
豪さんのわかめは その筆頭で、
- 豪さんから わかめ、またはメカブを受け取り(毎年2月~3月)
- こんな季節の三陸の海はどんなに寒いだろうかと想像し
- 箱を開けると、たいていかわいらしい丸い文字でなにか一言書いてあるのを見てふふふとなって
- 袋を開けて、肺がはちきれるくらいにわかめのアロマを吸い込み、幸福の香りに春の到来を感じる
この一連がここ7年ほど年に1回の定例行事で、こればっかりは、なくてはならない。
■好きな理由
豪さんのわかめの何が好きと言って、そのとびきりの美味しさが大きな理由の一つ。
食材を好きな理由が「おいしいから」って、当たり前すぎて説明不十分が過ぎるけど、本当だから仕方ない。
それまで「半透明に美しいが、特においしいわけではない緑色のビニールフィルムのようなもの」とばっかり思っていたわかめに、こんなパンチがあっただなんて。
初めて豪さんのわかめを食べて、
「……昆布の親戚?(当時、『おいしい海藻』を昆布しか知らなかった)」
と思ったのだって、覚えている。
その時の感激は鮮烈で、いうなればもう、わかめ観の大革命。わかめはおいしい。
そうして我が家のわかめ消費量は、豪さんも認める「わかめ消費大国岩手県民水準」に到達した。
■詳説、豪さんのわかめ
「おいしいから好き」の「おいしい」をもう一段階分解すると、
お肉と同じで、部位ごとにこんなに歯ざわりが違うのか!とか
味わいがここまで変わるのか!とか
そんな感動が味わえる楽しさが真っ先に思い浮かぶ。わかめにも、部位がある。
それを最大限楽しめるのが、毎年2月頃から登場を始める「赤ちゃんわかめ」。
根本のほう、つやつやのヒスイ色が本当に美しい むちっとした部分から
葉先の、繊細できらきらして薄いけどペラペラじゃなくて、でも根本のようなゴリゴリ感はなく、言うなればそう、貴族みたいな食感のある部分 (貴族を食べたことはない) まで、
どこをとっても美味しいけど、美味しい理由が、こんなふうにいろいろあるのが楽しい。
加熱したときの香りのよさとか品のある旨みも「わかめ、おいしい」の構成要素。
使い分けてもいいし (根っこに近いところは茹でで醤油マヨネーズがおいしいというのは豪さん談だったと思う )、 全ての部位を同じお皿に仲良く盛って、
「あ、ここは葉先―!」
「ああ今度は根っこ方面―!!」
なんつって、一箸ごとに異なる部位との偶発的な出会いを演出し、その魅力を楽しむのも良い。
■豪さんのこと①
岩手県の大船渡で仕事をする大人である豪さんが、東日本大震災を経験した一人であることは知っている。実際に、そんな話をインタビューで質問されて答えていたのにも触れたことがある。
でも、あの震災のときがどう大変だったか、どんなふうに苦労をしたのか、それがどう今の豪さんに影響しているのかなんてのは、わたしが書くことじゃないし書く立場にないと思っている。
そう思う気持ちの背景は、分別というよりももう少しポジティブで、豪さんという人の印象を「被災した経験のある漁師さん」に留めてしまうのは、ある意味でとても簡単なことのような気がして、それじゃもったいないと思うことが一番大きい。
わたしが知っている豪さんは、災害や天災が発生したとき、いつも現地に必要なものをどっさり調達して出かけて行って実動によって現地の方々の気持ちを支えている人で、
「あのときの豪さん」じゃなくて「今の豪さん」の行動や、その原動力としての思想のほうを、尊敬に近いような気持ちで捉えている。
尊敬、と言い切らないのは、そう言い切れば、ご本人が嫌がるような気がして仕方ないから。
「そんなんじゃないから、やめてよ」って、笑いながら言うんじゃないかと想像している。
■豪さんのこと②
何年前だったか、豪さんと親交の深い農家さんのピンチに際してほんの少しのお手伝いをしたら、後日その農家さんから一部始終を耳にした豪さんが、「仲間を手助けしてくれてありがとう」とわざわざわたしに声をかけてくれた、という経験をしたことがある。
出来た人間のあいだでは当然なのかもしれないこのやりとりは、
わたしのような不出来な人間にはとても新鮮な体験で、
これは「礼儀正しい」とかじゃなくて「オトナ」とかでもなくて、
「すっげーーーー でっかいなーーーーーーー!!!」と、そう思った( 語彙まで不出来 )。
そうなんだっけ、人類ってこんなに豊かに思いやって生きてるんだったっけ、って、そんな調子に、本当に腹から驚いたのを忘れられずにいる。
あと8回くらい生まれ変わったら、わたしもあんなふうになれるだろうか。
人間的成長が輪廻頼みであることは、この際置いておくとする。
■おいしい戦隊赤レンジャー
わかめ養殖を、海水温の変化を見極めながら「いつもどおり育つように」試験的に進めていると知ったのは、つい数週前のこと。「海水温の変化と戦っている」と入力しようとしてやめたのは、戦ってやっつけてやろう、というような攻撃性や不遜さよりも、「受け入れている」のほうが印象としては近いように理解をしているからのこと。もっと言えば、環境に感謝しながら受け入れている、というか、なんというか。
なんともならないもの、敵わないものがあることをとても良く知っているはずなのに、どうしようもない、困っている、敵わない、と口にせずに、
「どうしようもないもののせいにするのは簡単だよね」
と言って事態に向き合うから、
海のために森の整備をするから、
プロフェッショナルを通り越して、なんだかヒーローみたいだなぁと思う。
なるほど戦隊もののイメージはずいぶん似合うと思ったあと、だとしたら赤レンジャーだな、なんて具合に思考が次に進む。立ち位置はセンター、一番派手で華やかでチーム想い、豪さんは赤レンジャーしかない。食いしん坊の幸せを生み出す、おいしい戦隊の赤レンジャー。
「豪さん」という人間が漁師という仕事だけで構成されているわけじゃないことを踏まえれば、「おいしい戦隊」というのは豪さんのほんの一側面なのだけど、そのネーミングがひどいことを除き、「おいしい戦隊」がぴったりだと、再考してもそう思う。
そこまで言ったら、豪さん照れちゃうんだろうなと考えを重ねつつ、
今年も あっという間に1月末、2月のわかめをとても楽しみにしている。