石野さんのしらす

シラスのサラダ

じいちゃんと時代劇

時代劇が好きです。

どんなに何が起きたって、あの実質40分ちょいの中で見事に展開される起承転結、最後は絶対に「めでたし」が約束されていて、ゆえにこその爽やかな後味。

正義が必ず勝つ世界があったっていいじゃない、創作だもの。

もっと正確にいえば、時代劇じゃなくて、時代劇を観るじいちゃんとの時間が好きでした。

8年前にじいちゃんは三途riverを渡っちゃったけど、いい歳になった孫娘は今も、時代劇もじいちゃんも大好きだ、という、わりかし重篤な爺コンプレックスのお話。

夕方の再放送ver.なら、菓子鉢を右手に、左手をわたしのお腹側にまわして、じいちゃんが膝に抱いてくれる。

夜の放送分であれば、じいちゃんの右手に収まるのは日本酒。

じいちゃんのにおいと、ニワトリみたいに垂れた首の皮膚と剃り残した白いひげ、骨ばった膝の感覚とリンクするのが時代劇。

じいちゃんのかけていた眼鏡のツルの部分の、2本の線が入ったみたいなデザインとその金属の色、ステテコのしゃりしゃりした触感もよみがえってきたりして。

じいちゃんの膝にいたくて一緒に画面を眺めていただけに過ぎないとはいえ、毎週観ていれば、ある程度の好みも出てくるわけで、特に好きなのは銭形平次と大岡越前、なによりもロックな殿様「遠山の金さん」。

水戸黄門も悪くないけど、「助さん格さん、こらしめてやりなさい」のくだりが、子どもゴコロに今ひとつ、「やりたきゃ自分でやりゃよかろう」と思っとりましたもので。

あくまでも現場主義で行くのなら、自ら手を動かしなさいよ手を。常に最前線たるダース・ベイダー卿の当事者意識を見習うといい。

とにもかくにも、その時代劇で覚えた言葉、

「一体ここをどこと心得る!お白州 (しらす) であるぞ!!」。

そんなわけで、「釜揚げ」だろうと「シラス干し」であろうと、「シラス」を見れば、脳内には脱ぎ癖のある殿様が浮かび、咲いてる総量以上の桜吹雪が舞い散りまくり、場合によって銭が飛び、「これにて一件落着」で、もちろんBGMも相応のものが流れるわけです。

小鉢に盛ったシラス
智恵さんのシラス、衝撃のパンチを繰り出す旨味オバケ

フライング気味な出会いと、麗しのちりめんじゃこ

時代劇でいう「お白州」は、白の碁石をぶちまけたみたいな、金さんのご職場の、真っ白なお砂の敷かれたお庭(?)のことで、この「お白州」をじいちゃんの膝で知ったわたしが、まるでそのお庭のお砂のように真っ白な「釜揚げシラス」を、だから「シラス」というのだと知ったのは、もう少し先のこと。

それから30年近く経って、ずいぶん食い意地の張った大人に育った孫娘がポケットマルシェに出会って、「お宅の冷蔵庫、中身どうなってますか」という取材をしていただいたそれが、智恵さんとのフライング気味な出会いでした。

その取材に向けてスマホで撮影した自宅の冷蔵庫の写真は、その時点ですでに7~8割がポケマル食材だったけれど、残り2~3割に該当し、なぜなら当時のポケマルにはまだ出品がなかったのが、シラス。

「シラスはポケマルにはないので、これはスーパーで買いました」、

なんて話すわたしに、当時取材をしてくださったスタッフの方が

「あ、でも!もうすぐ出るので!広島のちりめん漁師の智恵ちゃんのが!」

とおっしゃるので、「そりゃありがたいです、広島育ちなので親近感しかないです待ってます」と熱烈に出品待ちをした、それが智恵さんの知らない、わたしと智恵さんとの邂逅。

その取材は、もう寒い季節に突入していて、だからちりめんじゃこからのスタートだった、智恵さんとのご縁。

それでもやっぱり格段に味わいの違うものが届いて、ああもうこれがあればいい、ちりめんはこの人に決めた、幸せ、と思ったことは忘れられません。

ちゃーーーんと「し」の形をした見事なフォルム、青いきらきらしたアイラインの入ったつぶらな瞳。白く綺麗で、つやのあるお肌。こんな小さなお魚を、どうすればこんなに均一に綺麗に仕上げられるんだろう。どういうことなのほんとに。

手のひらにのせてうっとりと見つめて、香りを嗅いでは口に入れ、口に入れては手のひらに取り出した、麗しと衝撃のちりめんじゃこ。

フキごはんとシラス
ふきの佃煮との相性が好き。両方揃うとエンドレスごはんの完成。

キラキラひかる、さらさらのシラス

智恵さんの釜揚げシラスは、驚くほどさらさらしています。

さらさらだから、パックの底にへばりついたりしない。

水分が適切に飛ばしてあって、だからベッタリしなくて、さらさらっと登場して、炊き立てごはんにのっかってくれる。

お魚も小さい。目がキラキラして、向田邦子が「カタクチイワシの目が怖いからタタミイワシが苦手だった」と書いていたお話を思いだしたりする。

小さくてキラキラしてさらさらして、だから事象に対してその表現じゃ全然正しくないんだけれど、「くちどけがいい」という表現が一番近いくらいに、口の中で、イワシの脂のおいしさと、ふっくらした身がふわふわと消えていくかんじ。

さらっと軽いので、「ああ、金さんが登場する、あのお白州のシラスだ」ってそう思ったら、ちょっとだけ、鼻の奥にじいちゃんの匂いがしちゃう、爺コンプレックスこじらせ気味の、四十がらみの女と台所、という構図。しょっぱいぜ。

シラスどんぶり
さわさらっとふわふわっとごはんを覆うシラス。お代わりは不可避

プライドの味、技術の味、完成形のシラス

水分を多く残したほうが、当然のこと重量はかさむ。

そうなれば、結果的に販売単価は上げられそうなものだけど、なによりも美味しくするために、「いい加減」に乾かしてあって、それが乾燥しすぎじゃなくて、ああ絶妙。至高。上質。

それに塩味。辛くない!塩辛くない!それだって、智恵さんの広島弁が聴こえてくる。

「塩辛うにしてしもうたら、魚ん味がわからんようになるじゃないね」。

よくある、日本人の塩分摂取量云々…という文脈での減塩というよりも、魚の味をちゃんと届けるんじゃけ、「いい塩梅」を見極めるんじゃけぇ、というような。

だからどう食べるにしても、基本的には追加のお醤油は要らないし、つまり、完成形のシラス。

塩や水分で増すことのできる「かさ」なんて、取るに足らない微々たるものなのだろうから、「水分を多くすればその分高く売れるのではモゴモゴ」なんてことをちらっとでも想起する、悪徳商人ポテンシャルを保有するのはわたしくらいのものなのかしらお恥ずかしい。

もちろんそんなヨコシマで低次元な考え、智恵さんのプライドを前にはまるで意味をなさないのだろうけれど。

ゆえにわたしみたいなモンは、智恵さんの仕事人としてのプライドと、その具現たるところの完成形のシラスに、ただひざまづくばかり。

長けりゃいいってもんじゃないけれど

なんせ80年の歴史をもつのが、智恵さんとこの、ちりめん網元。

その歴史の中で培った経験と勘でイワシの稚魚の漁をするところから、その味が一番引き立つ加減に塩をして乾燥させて販売するとこまで一貫して担って完成するのが、智恵さんち、石野水産の商品。

いつも均一な大きさのイワシの稚魚が獲れるわけじゃない以上、都度相手を見ながら適切に加減して仕上げるのだろうと思われるわけで、職人技ってこういうことなのかと、いつも心底そう思う。

熟練の、技術で技量で、こんなかっこいいもの他にない。

ケールのサラダ
味のしっかりした智恵さんのシラスは元気いっぱいのケールにも対等に張り合う。気の強い智恵さんに似てるなぁといつも思う。

そりゃもちろん、なんでも長けりゃいいってもんじゃないけれど、80年の歴史ってつまり、戦前からの時間ってことで。

戦前からスタートして、商売を興して間もなくの頃には、広島や長崎が今よりもずっと強くヒロシマ/ナガサキとしての意味合いをもっていたような時代ってこと。

その時代から続いてきた商売は、「続いてきた」って表現じゃ不十分で、必死で「守ってきた」商売だと、わたしはそう捉えています。

人んちの商売のプライドについてどうこういうのは過分なふるまいとわかってはいるけれど。

それでも、勝手に80年続くものなんかきっとないから、たくさんの「誰か」が関わって、闘ったり守ったりしながら「続くようにしてきた」ってことなのかなぁ、なんて。

そうだとしても、そうじゃなくても、やっぱり長生きできる商売は偉大だって、そう思う。理由なく、そんなに継続しないから。

わたしのプロポーズ食材

ああでも、こんな書き方をすると、「80年の歴史を背負ってる智恵さんが大変そうだから、わたしは食べて応援します」っていう文脈に見えてしまわないかしら。

違います、ちがうんです。

智恵さんのシラスとちりめんじゃこは、わたしの「プロポーズ食材」。

なんぞや。

ご縁のあった食材のうち、「ああ一生食べていたい」と思うものを、わたくし僭越ながら「プロポーズ食材」と位置付けさせていただいているのでありまして、つまるところ、「わたしと一生一緒にいてください」。

貴方を幸せにできるかどうかはちょっとわかりませんが、あなたがいてくれると、それでわたしは一生幸せです。そんな感じ。

人生100年とか、平均寿命が150歳に…なんつったって、そんなの締め切り延期の話であって、いつか必ず彼岸に渡る日はくるわけで。

だとしたら、願わくば、その当日まで一緒にいてほしい。智恵さんのシラス、ちりめん、その他。

自分がずっと食べていたいから、そのために、もし智恵さんが事業の拡大を願うのならばそれが叶えばいいと思うし、もし智恵さんが豊漁を願うのなら、豊漁が叶ってくれぃ、と思う。もしも人気が必要なら、人気でろ人気でろ人気でろ人気でろ、と思う、そういう心持ち。

だって生涯をともに歩んでほしいんですもの、わたしの「おいしい」及び健康のために。

「生産者さんのためじゃなしにオマエのためかい!」と言われるかもしれないけれど、

わたしだったら、「あなたのために」って言われたくない、「わたしが食べたいから食べてる」って言われたい。

絶品あおさ×シラス×チーズと味噌とマヨネーズ、そして板海苔のトースト。誰が抗えるものか。

「エモい」と呼ばれる、その感情の向こう側

さらさらと軽くて美味しくて、ごはんにのっけても当然いいし、大根おろしにかけてもいいし、息子もわたしも、おやつに食べる智恵さんのシラス。

本当にもう、最高においしい。言葉にするのが野暮なくらいおいしい。

シラスに限らずちりめんじゃこも、綺麗な、ちゃんと魚の味のする商品なので、ああ食べ過ぎかな食べ過ぎよね、なんて思いながら食べ始めて、

そのうちその抑制の効かない自分を正当化するために「女性はカルシウムが」とか「汗をかけば塩分も大丈夫」とか、「おいしいことによって分泌された幸せホルモンの効能が食べ過ぎに伴う健康へのリスクを凌駕して…」とか考えちゃう。

なんてたくましい言い訳力。

広島育ちなもので、受け取るたびに口にするたびに、海水浴や海釣りに家族で出かけた穏やかな瀬戸内の海を思い出して、「ああ『エモい』ってこういう感情のことなのね」ってどっぷり浸かったりもする。

郷愁と美味しいと、爺コンプレックスと80年の重みへの敬意、それに智恵さんへの信頼がないまぜになって、エモいじゃ足らない「エモいの向こう側」みたいな場所に、気持ちがたどり着いちゃうこともある。シラスとの化学反応で、なんとも飛躍的な揺れを見せるMY HEART。

さらさらっと仕上がったシラスみたいな、きっぱりパキっとした性格の智恵さんと、智恵さんちの食材が、早い話もう全部、わたしは好きで好きで、たまらんのです。

「遠山の金さん」のBGMを脳内再生しながら、本当に全部好き勝手なことばっかり書いちゃって、智恵さんに怒られないかドキドキしつつ、シラス漁のはじまる6月を今年も心待ちにしている次第です。

今回の生産者さん情報

HPhttps://www.kichiami.com/
ポケットマルシェhttps://poke-m.com/producers/4078
食べチョクhttps://www.tabechoku.com/producers/20429?gclid=Cj0KCQjwytOEBhD5ARIsANnRjVj_9HC9og1bWqz-iFkdrywhIQhB42Q16jhgTMbidj8NAounbbouRKwaAmm-EALw_wcB
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=JKx7mxPyphg

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