牡蠣界のイケメンマッチョ
安楽島(あらしま)牡蠣ってどんな牡蠣ですか、と訊かれたら、
マッチョで牡蠣好きの熱狂する牡蠣です
と回答します。
牡蠣の美味しさを数時間にわたり煮詰めたような味の濃ゆい牡蠣なので、牡蠣が好きな人に、牡蠣の理想郷へ旅するつもりで食べてみてほしい、安楽島牡蠣。
好みのタイプ、ホモサピエンスと牡蠣のあいだ
太古の昔、まだ制服を着ていたような時代には、ちょっと陰のある儚げな印象の、フッと吹いたら飛んでいきそうな男性に興味をもちやすい傾向にありました。
ただ、あいにく先方のほうではわたしのような、強/中/弱でいくと「強」に仕分けられるであろう部類の女性がまっぴらであることが極めて多い(し、彼らのその危機予測はたいてい正しい)ので、そういった方とはお近づきになるどころか、ついぞこの年齢まで、まともにお話ししたことすらないけれど。
でも、牡蠣は、牡蠣だけはマッチョが好き。
ぎゅっとしまった身に、ぷるりんっ!としたテクスチャー、できればそう、噛んだときにグッとタフさを感じさせる貝柱、この貝柱が大きければ大きいほど好き。牡蠣そのものがバカげて大粒である必要はなくて、小さな身に溜め込んだエネルギーが炸裂するみたいな、肉厚な牡蠣が一番好き。
そういえば我が最愛の夫には、儚げな要素は微塵もなく、いわば安楽島牡蠣タイプと申せましょうか 。
イケメンマッチョ牡蠣の完成プロセスと、環境に関する一考察
牡蠣をマッチョにするのは、安楽島の海、伊勢湾の潮の流れの速さだといいます。
速い潮に、終始一貫してゴゴゴと叱咤激励されて、彩さんたちの手間ひまを適切に受けて育つから、安楽島牡蠣は身が締まる、と。
だから加熱しても縮みづらく、その苛烈な流れに対して踏ん張って育つから、わたしの大好きな「牡蠣の貝柱」が大きく発達し、希代のマッチョ牡蠣が育つというわけ。
それにもうひとつ、やっぱり栄養豊富なんだろうなと伊勢志摩の海。
伊勢志摩エリアの海は、昔、毎年夏になると海水浴に出かける場所でした。
思想なきわたしでも「神々の森なのね」なんてそう思うような、緑にみっしりしたオバケブロッコリーみたいな森が、海にすぐ迫ったところにあったのを覚えています。セミの音声スピーカーみたいな様相で、ブロッコリーからセミのシャウトが湧き出てくる、夏の海。
あの森があってあの海があるから、この牡蠣ができるのね。
森が絶好調であることと、海の栄養状態の相関性はやっぱり大きいんだろうと納得できる、豊満な味わい。「鉄!亜鉛!!以上まとめてみました!どーん!」。
わたしが表現すると、大阪人の道案内の様相で残念だけど、そんな感じ。
まっすぐガーーーっと行って2つめの角ギュンって曲がってだーーーッと行けばドンツキに目的地。そんな感じ。
必要なものはあるけど、余計な雑味とかエグ味はない、過不足のない完結型のおいしさ。
「おかあさんは かきちゅう です」
これは息子が実際に放った言葉なので、「お母さん」というのはわたしのことで、「かき」は「牡蠣」、「ちゅう」は、現在進行形としての「~中」。
商談中、とか、確認中、と同一なるところの、「中」。
中村彩さんにポケットマルシェで出会った最初の年、この安楽島牡蠣が、これまで食べてきたどの牡蠣よりも好きな味だったので、毎晩まいばん牡蠣を食べました。牡蠣の致死量も一応調べたし、牡蠣しか食べないくらい牡蠣を食べましたとも。
当時まだ、平日には夫が深夜までオフィスにいたので、息子と2人の食卓。
2名体制の食卓で、彩さんの牡蠣をむさぼる中でインターホンが鳴ったとき、応答した息子が冒頭の回答、「え、おかあさんは…、えっと、かきちゅうです」。
つまり「母が牡蠣を食べている真っ最中につき、精神状態が極めて高揚しており、適切な状況理解や理性的な判断のできる状態ではない」ということを差すのであります。わはは
ちなみに、同じような我が家オリジナルの用法に
・「カニ中」
・「エビ中」
なんてものも。
息子はよく、「おかあさん、おちゃ、くだしゃ…、あ、カキ中か」と言って椅子から立ち上がり、背伸びして冷蔵庫からお茶を取り出しに行っていたものです。
背伸びをすれば届くのであれば、君の喉の渇きは君が引き受けて解決するべき問題だ、母は牡蠣に溺れておるのじゃ。
意識最底辺系へなちょこオフィスワーカーの独白
■愛する安楽島牡蠣
■「お世話になっている生産者さん」と言うにはちょっともう、心理的距離が特別親和地区にいる彩さん
自分の愛してやまない美味しい食材を、もはや他人とは思えない人が育てて売って生計をたてているのが安楽島牡蠣なわけで、これはやっぱり、どうにもこうにも特別な位置づけということになります。
だけども安楽島の牡蠣は、ここ数年ちょっとピンチ。
夏場の海水温が高すぎるせいで、牡蠣の8割が斃(へい)死してるのだと聞いています。
仕事の成果の8割がなくなるって、なんだそれは。ナマっちょろいオフィスワーカーわたし、もう白目。
そのうえ理由が海水温。課題の距離が遠い、遠いよ。
課題がなんとも地球規模。ああそうか、地球に日本があるんだから、地球の課題は日本の課題だった、忘れてた。
お恥ずかしながら、安楽島牡蠣のピンチで初めて、ワガコトになった温暖化問題。
シロクマの棲むところがなくなっちゃうやつ、くらいに捉えていた意識最底辺系のわたしにとって、安楽島牡蠣のピンチ、ひいては彩さんのピンチはわたしと胃袋のピンチで、そうして初めてこの問題が、「問題」になったという流れ。
温暖化のせいで、世にも美味なる牡蠣が食べられなくなるかもしれないって言われたら、話はちょっと、別になる。
わたしが彩さんを好きなわけ
彩さんを好きな理由は山ほどあるけれど、その理由の基盤を形成しているのは、彩さんの覚悟とその表れであるところのコミュニケーションスタイル。
ポケマルでの対応ひとつとっても、コミュニティへの投稿にはどんなに遅くなっても必ず返信するし、ひとりひとりに向けて丁寧にありがとうを伝えることで、消費者の心を掴んできたわけです。
品質にも、数年来のお付き合いで一度たりとも妥協の痕跡を見たことがありません。
この彩さんのスタイルこそが最上だ、なんてことを思っているわけじゃないし、コミュニケーションを重視してくれないとイヤなんて言う気も、まるでありません。
「販路のひとつ」であるツールをどう使うかは、価値観や余力、目的によるものだと理解しとりますとも。
けど、家事や育児に牡蠣の世話、出品梱包発送と、どれだけ忙しいときだって彩さんはわたしたちを知ることを大切にしてくれたから。
だからわたしも、彩さんを大事にしたいんだ。
困ってますとは言わないけれど
人から、困ってる、と言われて困るのは、解決方法がみえないときと決まっていて、温暖化なんて、その最たるものだと思っています。
だから「困ってる」と言ってしまうと「うん、困るよねー」で止まっちゃいそうで、「困ってる」って言いたくない。
そんなこと言ってたって仕方がないのだし、この手の問題に少人数で困る困ると唱えても、解決までの距離なんか縮まらない(かといって、束になってかかっても解決できる話じゃないのが苦しいけれど)。
だからまずは第一段階、「こんな美味しいものが食べられなくなるのは困る」って言ってくれる、「一緒に困ってくれる仲間」を探すのが先決な気がしていて、それだったら、わたしにだって出来ることがありそう。
そんなわけで、「届け困惑!広まれ危機感!」とばかりに、「このままいけば幻の牡蠣になるかもしれない絶品の牡蠣、食べてみる気ない?」とやり、知人友人親類他人(美容室で隣に座っただけのマダムとか)に至るまで、安楽島牡蠣がいかに美味しいか生産者さんが最高かの紹介するようになったわけです。
そうこうするうちに辿り着いたのが、「マッチョで牡蠣好きの熱狂する牡蠣」という、冒頭のアレだったという次第。
こんなことしたって、夏の海が安楽島牡蠣の快適な温度に下がったりはしないんだけど。
だけども、今後安楽島牡蠣を安定して育てられる日々をもう一度迎えられる未来があるのだとして、そのとき「安楽島牡蠣の当事者」は、彩さんたちだけでは、絶対にないはずだと思うのです。
今年の夏は、どうなるかなぁ。
心配しながら各方面へ引き続き「いやもう、マッチョでさ…」とご紹介たてまつる、2021年最終フェーズの安楽島牡蠣。
来季こそ、豊漁でありますように。
どうかどうか、豊漁でありますように。
今回の生産者さん情報
ポケットマルシェ | https://poke-m.com/producers/2810 |
ポケマル内紹介記事 | https://poke-m.com/stories/612 |